フェルスター『哲学の25年』プロローグ 哲学の一つの始まり

 『法論の形而上学の第一原理』における、批判哲学以前に哲学は存在しなかったというカントの言葉が問題となる。なぜ『純粋理性批判』以前に哲学は存在しなかったのだろう。当座の答えを与えるためにフェルスターは1772年のマルクス・ヘルツ宛書簡を引く。古典的な形而上学の対象は、非感性的でありながら私たちを原因としないという特徴を持っている。では非感性的な対象について真なる言明が可能であるような形で、その対象に表象を介して関係することはどのようにして可能なのかが問題となる。カントは、非経験的であり真理でありうるような対象への指示関係 Referenz の問題を設定した。

 回答は困難であった。論点先取を防ぐためにはこの探究自体は形而上学的な認識であってはならないのだから、カントは伝統を頼れなかった。フェルスターは、『純粋理性批判』は哲学の伝統を継承した書物ではないと、従来の哲学と超越論的哲学の断絶を強調する。形而上学が対象に関するアプリオリな認識を目指すのに比較して、超越論的哲学は対象にも事物一般にも向かわずに、非経験的・アプリオリな対象指示関係 Gegenstandsbezug の可能性、ひいては形而上学の可能性を探究する。アプリオリな指示関係の対格 Akkusativ をカントは対象一般 Gegensände überhaupt という専門用語で呼ぶ。超越論的とは対象一般についてのアプリオリな概念に関わる認識を言う。

 フェルスターは『批判』の基礎に置かれた計画を以下のように再構成する。すなわち (1) 形而上学的演繹 (2) 網羅性の証明 (3) 超越論的演繹 である。形而上学的演繹においては、私たちの持つ三つの能力(感性、悟性、理性)に対応した探究区分(「超越論的感性論」、「超越論的分析論」、「超越論的弁証論」)が提出される。いずれについても各能力固有の「純粋」あるいはアプリオリな表象が探究され、結果、直観には時間と空間という表象が、悟性にはカテゴリーが、理性には理念があるとされる。その上でこの探究が網羅的である証明が必要となる。最後に超越論的演繹において、これらのアプリオリな表象とそれに対応する対象の関係が探求される。

 なぜこれら三つの能力を想定してよいのだろうか。感性と概念が原理的に区別される認識能力であるという主張はカント独自のものである。この根拠としてフェルスターはカントがニュートン主義者であった事実を挙げる。絶対空間には「無限かつ必然的に存在する」という、伝統的に神的実在にのみ帰せられてきた述語が帰属する。ニュートンは絶対空間を神の感覚器官とすることで問題を緩和しようとしたが、ライプニッツはこれに反対して空間は諸物のあいだの関係だとした。カントはライプニッツ的見解に1768年まで与していたが、「空間における方位の区別の第一根拠について」で、カントは不一致対称物(e.g. 手)をヒントにライプニッツ的見解を批判している。

 しかし絶対空間がどのように手の規定の内的根拠を与えることができるかは不明なままだった。そこでニュートンともライプニッツとも異なる立場としてカントが発見したのが、時間・空間は人間の直観形式であるという立場だった。フェルスターは1769年のオイラーの『ドイツ王女への書簡』が、カントがこの立場に到達する刺激になった可能性に触れている。身体における魂の現前は思考可能だが直観的なものになることはなく、反対に不一致対象物の差異は直観的には明らかだが記述的・概念的には明晰でない。ここから直観と思考の差異が帰結する。

 1770年の就職論文「感性界について」で初めて、カントは空間と時間こそが感性の形式であると主張した。私たちは感性を通じて表象をもたらすような作用を経験するのであり、したがってこの表象は主観的状態である。表象を私とは区別されるあるもの(対象)に関係付けることで外的対象についての認識が可能になるのだが、あるものを私から区別するにはそれを他の場所 Ort に表象する他ない。したがって空間は経験的表象でも外的対象から抽象されるものでもなく、むしろ空間によって外的なものの表象が可能になる。時間についても同様である。時間と空間は「感性において感受された素材が秩序づけられうるさいの様式」なのであるが、この秩序付けは純粋に受容的な能力としての感性ではなく、構想力の課題である。カントが就職論文で到達したこの考えが『純粋理性批判』にも受け継がれている。

 フェルスターは以下のような方法論的問題を指摘する。ここまでで言い得たことは『批判』以前にはいかなる理論哲学も存在しなかったということだけであり、道徳には触れられていない。超越論的哲学に道徳を含むようになったが、カントの体系構想におけるこの変遷に注意を払うことが重要である。そのためには『批判』の第一版に集中しなくてはならないとフェルスターは述べる。他方で、ヤコービを除くカント以後の思想家が参照できたのは第二版以降である点にも注意しなくてはならない。